※第6章 交わること無き者達※  (冗談だろう? 母さんが、カディズミーナだなんて)  自分の母親が、永きに渡り捜し求めていた恋人…。その事実に、俺の思考が混乱する。  まったくもって、信じられなかった。数時間前に、目の前にいる女性がカディズミーナである確率を計算したところだった。その答えは、ただ単に失望しただけのふざけた数字だったのに…。  確かに、身近にいる者が彼女だという可能性はある。ごく小さい可能性だが、あるにはあったのだ。  …が、近い。  事実は、あまりにも近すぎた。  俺ははじめ、先程公園であったブロンドの少女がカディズミーナじゃないかと思って彼女を捜していた。だが、良く考えれば彼女のフルネーム、ウィーネ・フォーブスと言う名前に、カディズミーナとかぶる点は見うけられない。冷静になってみれば、彼女がカディズミーナである可能性はとても薄かった。  しかし、その点で言うなら、俺の姓である西口はともかく、母さんの名前である香美子にも、カディズミーナとかぶる点はない。だから、まったく怪しいとも思わなかったのだ。  しかし、母さんには、取り立てて事実に混乱している様子は見うけられない。  ひょっとすると、俺がユーマリオンだと言うことに気付いていないのだろうか? それとも、母さんもユーマリオンがいた世界から来た魔法使いで、カディズミーナの転生した姿ではない。あるいは、カディズミーナから魔法を教えてもらっただけだとか…。  だったら納得が行くのだが、そうではないと俺の直感が告げていた。どうしてそう思えたのかは判らなかったのだが…。  「酷い怪我…。ちょっと待ってね」  母さんは俺の前に回りこむと、血で汚れるのも構わずに俺の左手を両手で包み、何かを呟く。すると、母さんの手が熱くなった。熱いと言っても火傷するような熱さではなく、通常体温よりかは明らかに高いといった程度か。温かいと表した方が正しいと思えるその手が、傷を癒していくのを感じる。  母さんが手を離した時には、爪跡は跡形もなく消えていた。このべっとりとついた血の説明が難しい事に思えるくらい、綺麗になくなっている。  母さんは目に付いた傷跡に次々と手を当てていく。その手が触れるたびに、その傷があっという間に消え去っていった。  どう考えても、この世界のもの出ない治癒の魔法を使う彼女。間違いなく、さっきグリードに魔法を打ち込んだのは、母さんだった。  「母さん…」  「本当にカディズミーナなのか?」 そう聞こうとする俺の台詞を、下から見上げる意志の強そうな瞳が制する。母さんがこんな目を作ることができることを、今初めて知った。  「雄馬、今は何も考えないで、戦いに集中しなさい」  逃げろとは言わず、後ろを向いた母さんが見た先では、グリードが体を起こしこちらへ歩み寄ってきているところだった。それをじっと見つめている母さんの後姿が、彼女が逃げずにグリードと戦おうとしていることを示している。  「いちちち…。いきなり横からとは、さすがに堪えたぜ。まさか、この世界の人間風情が魔法を使うとはな」  顔を顰ませ右目を瞑ったままこちら側と正対するグリードに、母さんが向けた言葉は、先程言えなかった俺の質問を肯定するものだった。  「御久しぶりね、グリード」  あの世界の言葉で、短く一言言っただけ。だが、カディズミーナ以外の人間から、その台詞が発せられることはない。  もはや、疑う余地などなかった。彼女は間違いなくカディズミーナで、俺がユーマリオンだって事も知っているのだ。この世界の人間が、グリードの相手にならないことは彼女も判っているだろう。なのに母さんは俺に戦えと言っているのだ。その台詞が、彼女が知っていたことを物語っていた。  「御久しぶりって…」  ほうけた表情。俺に続いて、都合のいいカディズミーナまでの登場に、さすがに頭の回転がついていくのが遅れたようだ。  「あなたを封印した魔法使いよ。ちょっと顔が変わっているから、わからないのも無理がないでしょうけどね」  グリードが答えに辿り付く前に、母さんは先に答えを告げる。だが、それでも暫くグリードは考え込んでいるようだった。  3秒ほど経って、やっと合点がいったらしく、両目を見開いてポンと手を打った。頭の上に、電球の絵でも浮かんでいそうな感じである。  「おお! あの時の冗談の通じない嬢ちゃんか!? わりいわりい、イメージがあまりにも違っていたんで、全然ピンとこなかったぜ」  「冗談が通じないは余計よ」  飄々とした口ぶりのグリードに、取り立てて表情を変えずに母さんは言い返す。  「冗談が通じないのは相変わらずらしいな。だが、見た目はほんと、俺好みの美人になっているじゃねえか。一目惚れしそうだぜ」  「あら? ありがとう。あなたが人間だったら、相手してあげてもよかったのにね。残念だわ」  (…そうなのか?)  思わず右肩が下がってしまった。それに対し、母さんは毅然とした態度を崩さない。これでは、2000年前と立場が逆である。  まあ、実際に立場が逆になってしまっているのだが。  「ほお、訂正するよ。冗談も判るようになっているらしいな」  そういうグリードは楽しそうだ。奴は、戦いとこういうやり取りを好むのだ。  「冗談だったの? そっちが本気だったら、わたしも本気になってあげても良かったのに」  (…おい)  「人間相手じゃなければ駄目だったんじゃないのか?」  さすがに俺だけでなく、グリードまで半眼になる。しかし、そう言った母さんは少し楽しげだった。真剣な目のままなのだが、昨日商店街で俺と美奈に会った時に、冗談を言った際の表情が見え隠れしている。  「人に危害を加えず、まじめに働いてくれたらね」  「あなただったら、人一倍働いてくれそうだし」と、母さんは軽い口調で付け加えた。しかし、また冗談で返すと思われたグリードが、何か考えているらしく視線を俯ける。  「…それじゃあ、俺は生きて行けねえよ」  俯いたぼそりと呟いたその台詞は、本当に俺たちに向けてのものだったのだろうか? 何かその姿が寂しそうに見えた。  「生きていけないって、大袈裟な…」  その様子に、母さんも戸惑っている様子だった。  「どうでもいいけど、こんなところで魔族と立ち話するためにここに来たのか? 母さんは」  冗談合戦に隙ができたので、割り込むことにした。これから倒すべき相手と、これ以上話に講じても意味などない。俺はそう判断していた。この辺の性格が、雄馬とユーマリオンで微妙に違うらしい。  それを聞いた母さんは、ゆっくりとかぶりを振った。  「違うけど、なんとなしにね。そうね、これ以上は無駄なだけね」  そこで一呼吸置くと、母さんは再びグリードに話し掛けだした。  「グリード。私が来た限りは、あなたでもそう簡単に勝つことは出来ないわよ。どうする? 一旦引くか、このまま私たちと戦うか」  二つの選択肢を母さんは投げかけた。ここで引かれると、余計な所に被害の出る可能性が高くなる。なのに、引くか戦うかの選択を問いたのは、俺の疲弊度を考えてのことなのだろうか? 確かに、俺は先程グリードと一戦交えた際の疲れが出ている。その上、母さんの魔法で治ったとは言え、血を失った事に対する影響も少し出ていた。  ただ、少しそれは愚問のような気がした。  いくら二人になったとはいえ、恐らく母さん…カディズミーナの力も、俺同様衰えていることを奴は見抜いているだろう。洞窟で奴と戦ったとき、カディズミーナは74発の気弾を打ち込んでいる。しかし、さっき打ったのはたったの27発だったのだ。相手がグリードと判っていて、彼女が手加減するとは思えなかった。  逆に、グリードは今度は魔法を交えての攻撃をしてくるだろう。さっき俺と戦う前に、奴は「戦士は戦士の戦い方で、魔法使いは魔法使いの戦い方で倒す」と発言している。だとしたら、戦士と魔法使いを同時に相手するなら、爪と魔法の両方を使ってくるに違いなかった。それなら、俺たちと互角以上に戦えるはず。  ならば、好戦的なグリードに引く理由などある訳がないのだ。  「引かねえよ。こんなに面白い相手が目の前にいるっていうのに、何で帰らなきゃならないんだ?」  母さんの台詞に、すっかりいつもの調子でグリードが答える。その内容は案の定。  「そう…。雄馬、行けるかしら?」  今は横に並んでいた俺の方を向き、母さんは問い掛ける。俺に聞くところを見ると、やはり先程の問いかけは俺の状態を考慮してのものだったようだ。そして、その答えに期待してなかったことが、母さんの様子から伺えた。  「行けるよ。母さんが心配しているほどに疲れていない」  それは本当だった。もとより、そんな長時間グリードと切り結んでいた訳ではない。血にしても、やられてからすぐに母さんが来たので、そんなに大量に失血していないのだ。どちらも、大局に影響を及ぼす程のものではなかった。  それを聞いた母さんは、首を前に戻した。  「なら、行くわよ。グリード、あなたが人間に危害を加えようとする以上、私たちはあなたを全力で倒しに行きます。覚悟はいいわね」  そういう母さんは自然体だった。カディズミーナとは違う、非常に落ち着いた様だ。  だが、それを聞いたはずのグリードが、予測に反した台詞を口にした。  「それはいいが、あれはなんだ?」  奴の視線は俺たちのはるか後方。そちらへ向けて奴は爪差す。いや、指差す。  そちらから、何やら赤い物がこちらに向かってくるのが見えた。狭い道をかなりのスピードで走ってくるそれは、髪を金色に染めたいかにも「遊びで乗っています」と言っているような風貌の男が運転するオープンボディの車だった。  ちょうど道の真中にいた俺と母さんは、それぞれ違う方向へと道を空ける。そしてグリードは…。  避けようとしなかった。  「おらぁ!! 退けよっ!!」  クラクションの音と同時に聞こえる男の罵声。退くと思い込んでの暴走行為が、男の寿命を瞬間的に0にする。  「おうわあぁっ!!」  男の遺言はただの悲鳴だった。  ガシィッッ  ほとんどノーブレーキのその特攻を、グリードは片手で受け止めていた。恐るべきことに、奴はその場から一歩も動いていない。完全に止められたその推進力がどこに行ったかというと、それは当然のごとくシートベルトをしていなかった運転手へと伝わっていた。フロントガラスを突き破った男の髪が、だんだん赤と金のメッシュへと変わる。  だが、その変貌ぶりを最後まで見ることは出来なかった。  「おぉうらあぁっ!!」  (げっ、冗談っ!)  慌ててその場から俺は飛びのく。  なんと、グリードはそのボディーに爪を立てると、そのまま横の塀に叩きつけたのだ。元々その一部が壊されていたそのコンクリブロックは、このグリードの凶行によりその面の半分以上が倒れてしまう。  そして、家の塀に身を埋もれさせた赤い車体から、血とは別の赤いものが上がった。  「なんということを…」  炎と黒煙に包まれる赤い車を、呆然と母さんは見つめていた。  暫くしてから母さんは何かを呟く。すると、車の上に絵に描いたような雲が現れ、スコールのような雨がそこにだけ降り注いだ。しかし、炎の強い油火災に、この程度の水では焼け石に水だろう。  その時、僅かに窓を空ける音が聞こえてきた。素早く振り返り上を見ると、ブロック塀を破壊された家の向かい側、その2階の窓が少しだけ開いており、そこから恐る恐るといった感じで顔を覗かせる中学生ぐらいの女の子の顔があった。  「そこの子っ、すぐに消防車を呼んでくれ!」  俺は大きな声でその子に呼びかけた。瞬間、表情を強張らせた彼女は、数秒して事の重大性を認識したらしく、震える声ながらも「はいっ!」と一言、窓から姿を消す。  これで、火災の方は何とかしてくれるはずだ。  「救急車の方も呼んで貰った方が良かったんじゃないかしら?」  俺と同じくその民家の2階を見上げてきた母さんが、その視線を横に転がる警官2人に向けた。ついでに言うと、向こうの方には大男が自ら作った血溜りの中に倒れている。この惨劇を見て平静でいられるのは、恐らく魔族と戦ったことのあるカディズミーナの影響なのだろう。でなければ、頭の配線が一本付け間違えているとしか思えないような状況だった。  「どれも手遅れだよ。しかし…」  これで4人目。工事現場の件が全部こいつの仕業だとして、判っているだけで既に14人が死んでいる。これ以上の死者を出さないためにも、人通りのあるこの場で戦うことは止めるべきだった。  それに、先程逃げていった警察官も気になる。あいつらが、自衛隊でも呼んでくる前に、この場を離れてた方が賢明だろう。大挙して来られた日には、話を説明するのもややこしかった。  幸い、この状況にグリードも閉口しているらしかった。嫌いな食べ物を口いっぱいに含まされた子供のような、見事な渋面を作っている。まあ、2度もやる気を削がれれば、それも当然の結果だろう。今場所変更を持ちかければ、乗ってくるのは間違いない。  「場所を変えましょう、グリード。ここは、落ち着いて戦えるような場所じゃないわ」  俺が言うよりも早く、先にそれを口にしたのは母さんだった。  「そうだな。こうも邪魔が入ったら、折角の楽しみが半減しちまう。邪魔の入らないところへ移動してからにした方が良さそうだな。それまで、その楽しみは取っておくことにしよう」  やはり、グリードはその話に乗って来た。  しかし、一応都会の部類に入るこの町に、俺たちが戦えるような場所があるのだろうか。誰も来ないようなところで、魔法を使っても問題ないような場所など…。  母さんは何か思い当たる場所でもあったのだろうか? そう思い、そちらを向いてみると、やはり少し首を傾げたまま思案しているようだった。とりあえず言ってみたが、そこまでは考えていなかったらしい。  (参ったな…)  俺が見ているのに気付いたらしく、暫くの間俺は母さんと見詰め合う。そんな二人を訝しげな表情で見ていたグリードは、動かない二人に呆れたらしく、「寝るぞ」と一言ふて腐れた顔で座り込むと、胡座をかいた。  「いい場所を思いついたわ」  それを聞いたグリードの右眉が跳ねる。  「…頼むぜ。俺はこの世界のことは良く判らないんだからな」  ゆっくりと起ち上がるその仕草が、口に出さずとも「やれやれ…」とぼやいていた。  「こっちよ。20分ぐらい歩くわ。それと、これでその血を拭いてちょうだい。怪しまれるから」  そういってグリードにハンカチを渡した母さんは、渡しざまグリードの横を抜けそのまま歩き出した。母さんが歩き出した方向は、先程俺たちがいた公園のほうだ。  グリードと俺は道がわからないので、二人並んで着いて行く。  「20分って何だ?」  「時間の単位だ。さっき俺たちが考え込んでいた時間がだいたい30秒って言って1分の半分。だから、さっきの時間の40倍ぐらいの時間だ」  時間という単位のなかった世界で育ったグリードにそれを説明する。しかし…。  「全然判らん」  俺には、小学生の先生を勤める才能はないらしかった。  (しかし、どこに行くつもりなんだ? 母さんは)  母さんの綺麗なウェーブの髪を見つめながらそう考える。今歩いている方向は、俺たちが住んでいる野道町の方角だ。20分も歩けば、電車に乗るよりも歩いて帰ったほうが早いぐらいのところまで来る。  (そんな所に、そんな都合のいい場所があったか?)  俺は、暫くの間腕を組んだまま歩いていた。  5分ほど歩いただろうか。グリードが「並んで歩くのは性に合わん」といって、俺たちの前を歩き始めた。今は、母さんが俺の横を歩いている。  「その道を左に曲がって」  母さんが指図すると、グリードは何も言わずにそれに従う。そんな黒ずくめを、母さんはじっと見つめていた。  「グリード、一つ聞いていいかしら?」  母さんが何かを考えているのは判っていた。グリードに対する疑問、それを直接本人にぶつけることにしたらしい。  「別にいいぜ。どうせ、歩いているだけだしな」  首だけ振り返り、奴はそういう。その際、唇から漏れた牙が陽光に照らされ、見事に輝いた。  「あなたは私が封印したはずよね。どうやって、その封印を解いたの? 私は他人の手を借りずして、解けるような簡単な封印をしたつもりはないわ。…まさか、この世界に私以外の魔法使いがいるの?」  (そうだそれだ)  さっき俺が聞きそびれた疑問。母さんはそれを問い出そうとする。中から破れるような封印などない。どうやってそれを解いたのだろうか?  「なんだ、そんなことか」  もっと変わった質問を期待していたのか、再び前を向くと、つまらなそうな声でグリードは答える。  「…勝手に解けたぞ」  「え? 私はそんな勝手に解けるような封印をした覚えはないわよ」  この場にいる3人の中で一番落ち着いているように見えた母さんが、この答えに声のトーンを変えた。自分が掛けた魔法が、勝手に解けたという事実は、よほどそれに自信があったのだろう、彼女にとってショッキングなことらしかった。  「勝手に解けたというのは語弊があるかな? あの、俺がお前らと戦った洞窟…あそこを崩した連中がいてな、元々弱っていた封印がそれで解けてしまったんだよ」  「…それか」  声を上げた俺に母さんが顔を向ける。  俺は今の台詞で合点が行った。昼間のニュース速報で言っていた工事現場というのが、あの洞窟だったのだ。  「心当たりあるの、雄馬?」  俺は母さんにニュースのことを伝える。すると、母さんは困惑を表情にまで出した。  「外から衝撃を加えただけで、封印が解けるなんて…。封印の魔法は、恒久的なものだと思っていたんだけど」  それを聞いたグリードが再び振り返った。  「恒久的なものなんて、ないんじゃないのか? 一見そうに思えても、長い目で見れば確実に滅びの道を歩んでいる…。2000年もの間持続しつづけた魔法の記録なんてあるのか?」  突然、哲学者のようなことを言い出す。瞬間その緑の瞳が、知的な物に見えたのも、気のせいではないようだ。  母さんは黙っている。何か、考え事に没頭しているらしい。  グリードは、そんな母さんに構わず。話を続けた。  「俺な、さっき喰った連中があんまりにも不味かったんで、いっぺん元いた世界に帰ったんだ」  「え?」  考え事をしていたはずの母さんが、その台詞に鋭く反応して顔を上げる。  俺も、その話には興味があった。2000年前はほとんど何もなかったこの世界が、ここまで発展しているのだ。あの世界が今どうなっているのか、気になるところだ。  しかし、グリードは意外なことを言い始めた。  「誰もいなかったよ。全てが滅んだあとだった」  「冗談だろ…」  「冗談言ってもしょうがないだろう?」  思わず言った俺に、グリードが素早く返す。  更にグリードは言葉を続けてきた。  「俺たちがこの世界にきた100年程あとに、魔族と人間の全面戦争があったらしい。その戦争は人間側の勝利に終わって、魔族が滅んだらしいんだが、魔族側が武器として放った疫病が原因で、人間側も種の保存が出来なくなったそうだ。その1000年後には、人間達も滅んだ…。それが、俺が調べ上げたあの世界の終末だよ」  「まあ、調べたと言っても数時間回っただけだけどな」と、再び首を前に戻してから呟くようにしてグリードは付け加える。  信じられなかった。各所で小競り合いみたいなものはあったものの、戦争と呼べるようなものはあの世界の長い歴史の中でもなかったのだ。それが、互いを滅ぼすような全面戦争を展開するなどとは…。  しかし、グリードが一旦は向こうへ戻りながらも、再びこの世界に戻ってきたという事が、その事実を裏付けていた。もし、あの世界に人が生き残っているのならば、敢えて『不味い』肉を喰うためこの世界に戻ってくる必要などないだろう。  この話に母さんも俺と同じく信じられないといった様子だったが、俺よりも早く平静を取り戻したようで、ゆっくりと目を閉じた。  「それで、さっき恒久的なものはないって言ったのね」  「ああ…。俺も、人間や魔族が滅んでしまっているなんて思ってもみなかったからな。結構ショックだったよ」  本当にショックだったらしく、後姿が寂しげだ。やはり、一匹狼的な魔族でも、一族の存亡は悲しいことなのだろう。  (そう言えば、こいつにはなんで部下がいないんだ?)  グリードのレベルは、魔族でもかなり高位に属するだろう。なんせ、ユーマリオンは常に高額で雇われていた、魔族との戦闘経験も豊富の辣腕傭兵だったのに、その俺と格闘戦で互角以上に戦うのだ。その上、魔法も使う。それも、結構高位のもののようだ。なのに、奴は常に一人で行動している。普通、高位の魔族には部下がいて、そのレベルが上がるほどその数が多くなるものなのだが、奴が俺とカディズミーナが滞在していた町を襲った時も一人だったし、この世界に逃げた時も部下を連れていなかった。  変な話だった。普通、高位の魔族はその力を誇示するかのように、沢山の部下を連れて歩いているものなのだが…。  そんな俺の思考を無視して、母さんが会話を続けだす。  「私もよ。あなたは自在にここと向こうを行き来できるみたいだけど、私はあなたをキーにしてこの世界に来たから、一旦元に戻ってしまうと、あなたの封印が解けでもしない限り向こうの世界から戻って来れなかったからね。一度は戻ってみたかったんだけど。そう…」  母さんも寂しそうに目を伏せ、そのまま黙る。母さんの中に宿る、カディズミーナの記憶と思考。今彼女は、あの世界の何を思い出しているのだろう。残してきた家族のことだろうか。それとも、俺と過ごした日々だろうか?  俺も暫くの間、あの世界のことを思い出していた。  唐突に、母さんが何か呪文を詠えだす。それを聞いてグリードが振り返るが、自分に危害を加える気がないと判断したらしく、また前を向く。その呪文の効果は、母さんの体が瞬間淡く光っただけで、それ以上は何も起こらない。  しかし、母さんには何かが判ったようで、瞬間眉をひそめたのが見えた。  「何やっているんだ、母さんは?」  「え? いや、なんにも」  その反応が普段より少しばかり大袈裟だったのが気になったが、再び目を伏せ黙り込んだので、それ以上追求しないでおいた。  「…俺からも質問いいか?」  意外にも、今度はグリードが質問してきた。  「いいわよ。まだ時間はあるし」  答えたのは母さんの方だ。さっきから、会話の主導権を握っているのはずっと母さんのような気がする。ユーマリオンとカディズミーナの頃は、ずっと俺が主導権を握っていたのに、まるで立場が逆になっていた。  「さっきから気になっているんだが…。お前、こっちの美人のこと『母さん』と呼んでいるが、おまえら本当の親子か? 確か、元々のお前らって言うと、どちらかというと旅仲間か恋人って感じだったよな」  (それか…)  確かに、不思議だろう。本人すら不思議なのだから…。  今俺の横にいる女性が、俺の母親であり、捜し求めていた恋人だなんて、そんな変な話は他にはなかった。  そして、その事実は…。  「そうよ。今現在の私は西口香美子と呼ばれているわ。そして、この子は西口雄馬。私の息子よ」  いいながら、俺の背中に右手を置く。  「そして、私はあの時の魔法使いで、この子はあの時の剣士の転生した姿…」  そのまま、母さんは目を閉じた。今、母さんは…カディズミーナは何を考えているのだろうか。  「…複雑な関係だな」  魔族ごときに言われなくても、良く判っていた。  「しかし、お前がそいつの母親ってのはおかしいんじゃないか? どう考えても、年恰好が合ってないぞ」  「あら、そんなことないわよ。私、こう見えても38だし、別に辻褄はあっているわよ」  「おぅえぇぇ!!」  グリードは大袈裟な声を出すと、首だけでなく上体を捻り、母さんの頭のてっぺんからつま先までじろじろと見る。  更に、その動作をもう1回繰り返した。  「その顔で38だって!? 嘘だろう。俺はそんな人間知らねえよ。それとも何か? この世界の人間は、向こうの世界の人間よりも若作りなのか?」  「いや、そんなことはないと思うぞ」  俺の知っている限りでは、身体的能力の違いはあるものの、年齢による外見的なものの違いはなかったはずだ。  しかし、魔族も驚く母さんの若作りって一体…?  「そっ、そうか…」  前に向き直ったグリードの首筋を、汗が伝っているのが見えた。  「母さんか…懐かしい呼び方だな」  「えっ?」  10秒ほど間が空いてから、ぼそりと呟いたグリードの言葉に母さんが素早く反応する。  「あなたにも母親がいたの?」  「いるわっ! 一体魔族をなんだと考えているんだ?」  グリードは機嫌を悪くしたようだった。  いや、てっきり2つに分裂したり、口から卵を出して増えるのかと…。  「まさか、分裂したり、卵で増えたりすると思っているんじゃないだろうな?」  見事に思考を読まれていた。  「まあ、そういう輩もいるにはいるがな…」  いるのか?  「だいたいはお前ら人間と同じだよ。ちゃんと父親もいれば、母親もいる。…えっと、ニシグチカミコとかいったか? そっちの美人の方」  「香美子でいいわよ。」  「そうか。俺の母さん、あんたに負けないぐらいに美人だったぜ」  振り返りそう言うと、奴はにやりと笑った。  「へえ、美人の魔族って興味があるわね」  俺も興味がある。魔族というのはだいたいが怪物のような外見の連中だ。グリードみたいな人間型の魔族もいるが、その中で人間から見て美人といえるような魔族に出会ったことなどない。というか、女性の魔族に会った事などなかった。  まさか、人間から見るとグロテスクにしか見えないような輩が、魔族には美男美女に見えるとか…。まあ、母さんを美人と評するあたり、グリードの美的感覚がそんなに俺たち人間と狂っているとは思わないのだが。  そんなことを考えていた俺に、グリードはまったく予測してないことを言った。  「いや、俺の母さんは人間だ」  俺と母さんは二人、驚いた顔を見合わせた。  「俺は、魔族と人間の間に生まれたんだ」  「人間と魔族のハーフ? 子供を作ることが可能だなんて、思ってもみなかったわ」  「普通は考えつかんだろうからな」  母さんの言葉に、グリードも「まあそうだろう」といわんばかりだった。俺もその事実はまったく想像もしなかった。  しかし、それを聞いて納得した事もあった。外見的に人間によく似ている事。やたらと人間じみた言行がそれだ。そして、部下がいないという事実。人間としても魔族としても中途半端な存在だった奴が、お互いから爪はじきにされていた事は容易に想像できた。  「…ちょっとくだらん話に付き合ってくれるか?」  グリードが、自分の事を話そうとしているのが想像できる。  「断る理由は無いわね」  「俺も構わないよ」  二人の同意を聞いた後、グリードは腕を組み前を向いたまま話し出した。  「俺の親父はな、魔族の中でも3本指に入ると言われていた上級魔族だったんだ」  「ウィラードって聞いた事ないか?」とグリードは続ける。名前は聞いた事があった。人間のような姿形だが、凶悪な力を持つ魔族と記憶しているが、確か俺たちがこの世界に来る十数年前に狩られたはずだった。  「その親父なんだが、魔族の中でも結構な変わり者でね。たまたま襲撃した人間の中にいた人間の魔法使いに興味を持ったんだ。その魔法使いの女が、俺の母さんって訳なんだが、親父はなぜか母さんの『人間と魔族の争いを無くしたい』という考えに共感を覚えてね。その平和の使者が、俺という訳だったんだ」  「確かに変わっているな」  「やっぱりそう思うか? 俺も思うよ」  奴は振り返りにやりと笑う。  聞いた事があった。魔族に魂を売った魔女の事を。恐らく彼女の事なのだろう。  平和の女神にならんとしたその女性が、なぜ魔女といわれるような事になったのだろうか。その答えを、奴は知っていた。  「ところがな、ここで問題が起こったんだ。問題は、俺が原因だった…」  そこでいったん区切り、やや間を置いてから話を続ける。  「俺な、実を言うと人間以外の物を食う事が出来ないんだよ」  「本当なのそれ?」  だまってじっと聞いていた母さんが、信じられないといった表情で口を挟む。  「本当だ。身体がそれ以外を受け付けないんだよ」  「なるほどな。人に危害を加えないと生きていけないといったのが判ったよ」  「…まあ、そういうことだ」  グリードは俺の言葉を肯定した。それを聞いて、だいたい先の展開が読めてきた。  「ごめんなさい。そうとは知らずに大げさだなんて言ってしまって」  「今から戦う相手に、そんな気を使う必要はねえよ」  変に恐縮している母さんに、そう声を掛けるグリード。この二人…というか、我々3人はどう見ても敵味方の関係には見えない。  「…話し続けるな。平和の使者だった筈の俺に食料を与えるために、親父は人間たちを襲ったんだ。だた、俺が成長するにしたがって、人間たちを殺す量が必然的に増えた」  そうだろう。人間だって、成長すれば食う量が増えるのだから、魔族だってその公式が当てはまるはずだ。  「そうこうしているうちに、親父の討伐隊がやってきて、親父は殺されたんだ」  どういう戦いだったのかは知らない。しかし、上級魔族を倒すのに、大々的な規模の討伐隊が組まれたのだろう。しかし、その戦いの裏にこんな話があったことは、誰も知らなかったはずだ。  まだグリードの話は続く。  「親父が死んだ後、母さんは俺を食わせるために、止む無く人殺しに手を染めた」  横で母さんが息を飲んだ。  「まあ、母さんは人間の中でも悪人ばかりを選んでいたがな。そんなやり方だったから、俺はいつも飢えていたんだ」  そうだろう。しかし、グリードの母親にとって、それは辛い事だったに違いない。平和のために、魔族と一緒になることを選ぶほどの思考の持ち主が、いくら悪人ばかりとはいえ、人殺しに手を染めることに苦悩していたはずだ。  「しかしな。母さんは、いくら悪人でも人を殺すことに対して、罪の意識に苛んでいたんだ。だから、そのうち限界が来た。母さんは、どうすることも出来なくなった挙句、俺を殺そうとしたんだ。多分、俺を殺した後、自分も死ぬつもりだったんだろうな」  ふと横を見ると、母さんが悲しそうな目を俯けている。もし自分だったらどうするのか、それを考えているのだろうか。  「ところがな。そこで俺の防衛本能が働いちまったんだよ」  よく見ると、心なしグリードの両肩が震えている。  「気が付けば、母さんは血まみれになって倒れていたんだ」  そこで、奴は歩くのを止めてしまった。俺たちも、その場で止まる。  「そんなことがあったの…。そう、悲しい話ね」  「かもな」  止まったままで、進もうとも振り返ろうともしないグリードの後姿に、母さんがそう声を掛ける。すると、奴はそう言って再び歩き出した。  「だがな、なぜか母親の死に顔は笑みを浮かべていたんだよ。息子に殺されたにも関わらずな。…あの笑みだけが、何年経っても忘れられないんだ」  その言葉に、俺たち二人は沈黙したまままだった。  いや、母さんは掛ける言葉がなかったために黙っていたのではなかった。ただ単に、次の言葉を用意していただけだった。  「きっと、あなたを殺したくなかったのよ。あなたが生き残ることで、他の人間がどれほど犠牲になるか判らない。もうこれ以上、あなたを生かしておくわけには行かない。だけど、本当は殺したくなかったのよ。彼女はあなたの母親なのだから…」  目を瞑ったその母さんの表情は、かすかに笑みを浮かべているような気がする。その落ち着いた物腰は、彼の母親になりきっているかのように見えた。  「…だったら、俺は自分で死ぬべきだったんだろうな。母さんのこと考えるのならばな」  ぼそぼそと呟くような喋り方。  しかし、次の瞬間、悲しき半魔族は凄い勢いで振り返ると、牙を剥き出しにした。何かを引き裂かんと形作った右の手のひらを自分の顔に向け、その腕を怒りで震わせる。  「だがな、そんな俺でもな、生まれた限りは生き抜いてみたいんだよ! だから、人間の肉を貪る! 骨をしゃぶる! 血を啜る! 憎むんだったら、俺を憎むなっ。俺と言う存在を憎め!!」  怒りに任せた声。その怒りは、自分に向けられたものだった。  再び前を向き歩き始めるグリード。そんな彼に母さんが掛けた言葉は、聞こえるか聞こえないかの小さな声。  「可哀想な人…」  母さんは、グリードのことを「人」と表していた。  「俺、何でこんなこと話したんだろうな?」  その言葉は、どこに向けてのものだったのだろうか。そこから先、グリードは一言も発しなかった。俺も喋らない。母さんも、たまに行き道を告げるだけとなる。  俺にはなんとなしにグリードの気持ちがわかっていた。母親を失って以来、まともに話す相手などいなかったに違いない。だけど、ずっと誰かに聞いて欲しかったのだろう。母親を手に掛けたその懺悔の言葉を誰かに…。  本当に悲しい男だった。  この男を救うこと。それは、俺たちが奴を倒してやること。それしかないような気がした。  問題は、俺たちに奴を倒すことができるのか…だ。  そして、問題はもう一つ。  俺は、すぐ左を歩く母さんを見た。母さんは、見られていることに気付いていないらしく、ずっと前を見つめたままだ。  (母さんは判っているのか? 俺と母さんでは…)  そんな母さんに心の中で問い掛ける。しかし、その考えをすぐさまかき消した。  今は、グリードを倒すことに集中するべきだった。  意外なグリードの過去。しかし、奴は倒すべき相手でしかない。  次章はいよいよVSグリード。雄馬たちは、悲しき男に終わりを与える事が出来るのか? それとも…。  タイトルは『戦慄の最終決戦』です。  お楽しみに。